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2020.01.31 Fri  2020.02.04

行動しないという最高で最悪の選択

Webハック

行動しないという最高で最悪の選択

どうして行動力が成功で失敗のはじまりになるのか

行動力のある人は、得てしてなにかを達成したり実現させたりする可能性がとても高い傾向にあります。 一方、行動すればするほどドツボにハマって良くない状況に陥ることも少なくありません。

いったい、私たちが日々行う”行動”にどのような意義があるのでしょうか。
行動力があることが成功へのゴールへ導く一方で、とてつもないどん底状態に陥ることも。 今回は失業した状況を例に、私たちが人生で実行する行動とその実体について考えてみました。 自分の人生を、自らの行動や選択でどうにか変えていきたいと考えている人に役立つ情報になるでしょう。

行動しないという人生停止ボタン

もしあなたが失業してしまったとしたら、どのような行動をとるべきでしょうか。 思いつくところでは以下のようになりそうです。
  • 履歴書を作成する
  • 職業安定所へ訪問する
  • 職業訓練や資格取得に挑戦
  • 友人知人に仕事の紹介をうける
  • 自分で事業を行う
  • なにもしない
ただ、最後の”なにもしない”という選択は行動でもあるということもできますが、この場合は最後の選択だけは行動をしない行動選択ということで考えてみます。

わたしたちが日々事を行うには、なんらかの目的や習慣があり行動選択の決定をしているわけです。 この例では、あなたが失業したことにより行う次の行動について考えてみます。たいていの人は次の仕事を得るためになんらかの行動をおこすはずですが、中にはなにもしない、という選択をしてしまう場合もあるかもしれません。

このとき、行動しないという選択をすることは、とてももったない状況どころか、あなたの人生は一時的に喪失してしまうことになります。 なにもしないとは、おそらく朝起きて顔を洗って、ごはんを食べたりスマホゲームをしたりYoutubeを見たりして、とにかく時間を消耗することだけを目的に生活することです。

人生を漠然と消耗する時間が、すなわち”なにもしない”こと
そうなんです。なにもしないことは贅沢ですが、なにもしない状態を続けると、人生の時計は止まったままですが寿命だけが進行する”いきることが失われた状態”になるためのストップボタンといえるのではないでしょうか。

なにもしないで、ぼーっとする時間が必要であるというのは、ちょっとした錯覚ではないかと考えています。 呆然としているときも、常になにかしらの事を考えていることが普通なので、なにもしていない、という状態になるのは、あくまで自分の人生の時間を外的影響下の遊興行為に支配されたときになるのではないでしょうか。

たとえば求職活動の場面でいえば、無職状態のときにどのようなことをしていたかを省みたとき、何もしていない場合は勿論”なにも話せることがない”という状態が”行動しない”期間に該当するでしょう。

”行動しない”という選択をしたとき、あなたの人生は消失する

ムダな行動から得るものは皆無

前項では、行動しないことは自分の人生を失うことで、罪深いというような趣旨のことを述べていますが、だからといって闇雲に行動すればいいと考えるのは、あまり賢明といえることではないかもしれません。

はじめての転職活動で、「ノウハウやコツがわからない」という場合であれば、ある程度ムダな行動も後々役に立つことがあります。 でもやっぱり、”量は質を兼ねる”などということをいう人がいますが、半信半疑です。

なんというか、ムダな努力は努力ではなく労苦でしかないのですが、どうしてもムダな労苦がないと、ある事実に気が付かない人は少なくないわけです。というか、ほとんどの人が例外なく該当すると考えています。

結論からいえば、ムダな行動はいくら重ねてもムダで、一縷の望みや奇跡的な展開は、実は交通事故で亡くなるよりも宝くじで当たるのと同じくらい低い確率なのかもしれません。 極端な例でわかりずらいかもしれないですが、50歳までデスクワークに従事してスポーツもしたことない人がリストラにあって、人生の夢をあきらめられないということでプロ野球選手になろとトライする行動は、”ムダな行動”であることは間違いありません。

行動の前提条件がおかしかったり、無思慮無計画すぎる行為行動は”ムダな行動”である場合が多いのです。 目的や目標が曖昧なままの英会話教室やジム通いが途中で頓挫する確率の高さは、まったくムダな行動とはいいきれませんが、一種の事実証明になるかもしれません。

つまり、行動の前提条件があやふやだったり不確かな要素が多ければ多いほど、その行為は”得るものがないムダな行動”である可能性がきわめて高く、そこから得るものはほとんど皆無、失敗体験にもならない人生の徒労になる運命です。

ムダな行動なら行動しない方がいい

知的活動による行動こそ価値あり

では、いったいどうすれば自身の行動を有意義に、価値ある人生に紐づけすることができるのでしょうか。

ただ漠然と行動するよりは、知的活動に労力をかける
ということに尽きます。
  • 実際の行動に移すよりは、不確かな事象については勉強したり情報収集する知的活動行動のほうがよいということですね
勉強するということに抵抗感がある人はもしかしたら少ないのかもしれません。受験勉強や社員研修OJTなどで、すっかり勉強する習慣がついているため、資格や試験を社会人になってからも抵抗なくトライできることよいことです。

ただ、ここでいう勉強とは受験勉強や社会人になってからの漠然とした既成概念に対する知的活動ではなく、自身や事象を客観的かつ論理的に知覚していくための情報収集活動のことを言います。

なぜどのようにその行動しなければいけないのか、その行動をする方法で最善な方法や考え方はすでに情報があるのではないか、ということを中心に学習活動をしていきます。

そうした知的活動を通して、自身の客観的に把握をしたり、行動方法や意義についても価値のある選択を行えます。 前項の例でいえば、プロ野球選手は全国の10代の野球がずば抜けて上手く、厳しい環境にも平気で、コーチや監督の指示を守り、とにかく日本の中でも超マイノリティ層に属していないと到底可能性がない職業のひとつとなります。

自分が高校時代に平均以下の運動神経で、休みの日にスポーツをすることもなくデスクワークを30年も続けた50代の失業者が、果たして行動すべき対象であるかどうかは、やっぱり明白です。

さらに例えばサラリーマン時代に全く成績が上げられなかった人が、自分で会社を興して成功できる可能性は、いったいどのぐらいあるのでしょうか。 起業しても絶対に成功しないということはありませんが、その前にまずやるべきことがあるのだという知的活動をしてからムダな行動に遭遇する機会を減らしていくことが賢明ではないでしょうか。

仮にムダな行動に遭遇した場合でも、すぐに損切する判断力もつくはずです。

大切なのはいかにムダな行動から身を守るための習慣を持てるか

行動の責任を他人に依存する危険性

じゃあ、いったいどおすればムダな行動をなくして、価値ある行動の積み重ねができるのでしょうか。

実際のところ、行動の指針は社会人100人中2、3人ぐらいしか立てられない場合がほとんどだと予想しています。 ほか98%は外的な指針に準じて行動選択をしているケースがほとんどです。

受験勉強をがんばって、AランクやSランクといわれるような大学にストレートで入学して公務員や上場企業へ入社すれば、人生はほとんど安泰にできる可能性がきわめて高い。 そういう指針のもと、試験のための勉強に時間やお金を投資する行動、いい勤め先に就職する行動。こういった行動は外部からあたえられた価値判断に基づいた行動であるといえるでしょう。

しかし、この外から与えられた価値基準をもとに行動をすると、外的な要因が変化することで、それまでの行動が全く無駄とはなりませんが、おおむねムダな行動にコンバートされてしまう場合が往々にして発生します。

終身雇用制の限界や45歳リストラなどの現象は、もはや加速しており、この外的な評価基準にもとづいた行動原理で生きてきた人はとてつもないダメージを人生で受けかねません。

そのような事態に陥ると、軸足を外部にとられていたので急に人生バランスを崩すことになるだけでなく、責任転嫁や生きることの価値すら消失してしまいかねません。

ですから、外的な基準は必要ですが依存してしまうことはかなり危険になるので、どこか冷静な目でこれらの外的な価値基準をうまく利用しながら行動していくように生きていくと、いろいろな局面で柔軟性をもって思考し、行動することができるのではないでしょうか。

人生は自己責任で他人に依存することが吉

人生は行動選択の連続で決まるわけではない

結局のところ、行動しないと人生は失われるので知的活動に基づいた行動がベストな選択である。というような趣旨のお話なのですが、人生の行動における選択が、必ずしも人生を大きく変えることにはつながらない、ということを補足しておきたいとおもいます。

ビジネス書などでは、明日からあなたも大成功者!みたいな扇動的な書籍も多いのですが、あらかじめいえば、ほぼあり得ない話や体験をした人だから本になって多くの人に関心を持たれる。

という知的活動をもとにすれば、エッセンスは参考になりますが行動規範にはならないことは明白ですね。 こういった書籍を読んで中途入社してきた人たちは本当にいたたまれない状態に陥ります。手に負えません…

  • 結論、人生の多くの要素は生まれたときに大半が決まっている
ということです。

家が資産家であったり、勉強やスポーツがとびぬけて得意だったり、見た目や人格がものすごく際立った存在であったり。 これらの先天的な要因は、生まれてからの行動でほぼほぼ変更することはできません。美容整形などで成功する人は、もともとの素養が良かったというのもありますが。

つまり、行動しなくても元々備わっていることが往々にしてある。

失業中、求職活動をせず家で寝転んでいれば大抵の人は、そのまま無職期間を更新するわけですが、うまれもって財産や人脈に恵まれる人というのは海外で遊んでいても次の仕事が見つかったりします。

そうなんです、いくら行動と選択を繰り返しても多くの人にはたどり着けない場所がある。 そういった知的活動をもとに行動規範を考えると、わたしたちの行動の多くは、人生を劇的に変動させるものではなく、人生をより良い状況へ導くための調整行為の連続といえるでしょう。

いびつな人生のでこぼこを、的確な判断と選択で行動してなだらかな上向きの曲線に変えていくための所作。 そんな風に肩の力を抜いて行動することで、あなたの行動力は正しい確率が上昇して与えられた選択肢のなかで最高の行動選択をできるようになるのではないでしょうか。

ですから、状況判断がつかないうちや不確かな事象に対して曖昧な行動は人生を失うという最悪の選択になりやすい反面、正しい知的活動を通して的確な行動選択を積み重ねていけば、あなたの人生は劇的な変容はないかもしれませんが、より良い上向きの人生調整が上手にできるようになるでしょう。

行動することこそが人生を推し進め、好転させるための活動である反面、間違ったムダな行動を積み重ねると状況をより悪化させてしまうので、何もしないことが良い選択である場合があります。 わたしたちは行動を通した体験に価値があると誤認しやすいのですが、明確な根拠をもった行動体験こそに価値があると信じています。

最適な行動で人生はかならず少しづつよくなる

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